目次

伝説のヒロイン「渡辺典子」

su_heading size="21"]渡辺典子映画デビュー時期[/su_heading]

1965年7月22日、福岡県北九州市生まれです。1981年にホリプロタレントキャラバンでは九州地区の決勝まで出場しました。しかしながらその時点では、審査員奨励賞を受賞しました。翌年ポスト薬師丸ひろ子を決めるオーディションを兼ねた齋藤光正監督の映画『伊賀忍法帖』のヒロインを決める「角川映画大型新人女優募集」で九州代表となりました。そして、応募総数57,480名から勝ち残った16名での本選(決勝)の中からグランプリを受賞しました。ここから薬師丸、原田とともに、角川三姉妹して、角川映画を担う存在となりました。

スクリーンデビューは、1982年「伊賀忍法帖」時代劇でしかも一人3役を演じるという最初から難しい役を与えられました。

新人でありながらこの一人3役をこなすために監督からの厳しい指導をうける17歳、どんな想いでこの役をこなしていたのしょうか?

さらには、その翌年、積木くずしという歴史的な視聴率を誇ったドラマの映画版に出演がきまりました。

それは、すでに主演が決まっていた高部知子の不祥事により降板、封切り間近の映画が絶望的な状態を救うべく選ばれた経緯がありました。それまではアイドルという立場での芸能活動していた渡辺典子でしたが、不良娘という難しい役柄に鬼気迫る演技で見事に演じきりました。この映画で女優としての実力を広く知らしめることとなりました。

このような、まさにいばらの道を歩んで、第7回(1983年度)日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞すこととなるのです。ここまでくるのに、どれほどの苦労と涙があったのでしょうか?そんな渡辺典子ですので、その後に起こる人生の岐路も乗り越えられたのでしょう。

出典:Re!mind

出演した映画

渡辺典子も薬師丸ひろ子と同様女優としてのスタートが銀幕でした。前述の伊賀忍法帖、積木くずしを始め様々な映画に出演しています。毎年のように映画の主演をこなしていく渡辺典子。優等生なキャラクターから鬼気迫る演技までこなすマルチな女優として日本映画界に多くの功績を作ってきました。

1982年伊賀忍法帖で映画デビュー

1983年「積木くずし」で日本アカデミー賞新人俳優賞

1984年「探偵物語」ではドラマに初挑戦

同年「晴れ時々殺人」 主題歌も担当することとなります。

1987年「彼のオートバイ彼女の島」ではヨコハマ映画祭の助演女優賞を受賞

その後もNHKの大河ドラマ「翔ぶが如く」にも出演するなど、多くの場面で大活躍するのでした。

歌手渡辺典子

渡辺典子も歌手として大成しています。

ホリプロタレントキャラバンで、河合奈保子の「スマイルフォローミー」を歌い上げ、全国大会で審査員特別賞を獲得するというくらい歌唱力には定評がありました。

探偵物語の主題歌「花の色」、アニメ映画少年ケニアの主題歌「少年ケニア」の両A面で歌手デビューしました。その後も東映のアニメ映画などの主題歌を担当。伸びやかな歌声で人々を魅了していきます

花の色、少年ケニアなどでは、デビューでありながら、オリコン10位を獲得する人気ぶりでした。

 

花の色

穏やかな中にも芯のある歌声が共感を呼びます。

出典:you tube

少年ケニア

口移しにメルヘンください♫ 愛くるしい声で大人たちに子供の心を訴えるサビは、今でも覚えています。

出典:youtube

角川三人娘からの卒業[/su_heading]

1987年になると角川事務所から独立して自らとなり事務所を開くという道を選びます。年齢にして22歳の社長です。芸能界では生き残れないかもといった人々もいたかもしれませんがNHKの大河ドラマ翔ぶが如くに出演するなど、活躍の場をさらに広げていくのです。そこには渡辺典子の女優業に対するこだわりと並々ならぬつよい思いがあったのでしょう。個人事務所からさらに飛躍するために新たな事務所契約を繰り返し、チャンスを掴んできました。テレビドラマ、舞台、オリジナルドラマなど本当に数多くの作品に出演し、特にミステリー関連のTV番組にはなくてはならない存在にまでなりました。

そして50を過ぎた今でも変わらない、穏やかさと美しさは、まさに永遠のアイドルと言えるでしょう!

山村美紗サスペンス 京都グルメ旅行殺人事件

出典:ファミリー劇場


Follow me!

kenzhouse

中年サラリーマンです。若い時は海外で4年間ほど働いた経験があります。帰国してしばらく派遣社員やアルバイトの掛け持ちをして自分のやりたい仕事を見つけ正社員になりました。 職場が自然と同年代の人が集まり、プチ高齢化社会の縮図を感じています。自ら考え、自立できる自分になりたいと仕事の合間に努力しています。