目次
映画「病院坂の首縊(くく)りの家は、1979年5月26日に公開されました。監督市川崑、主演の金田一耕助は、石坂浩二、ヒロインに当時のトップアイドル桜田淳子を迎え制作されました。
この作品は、金田一耕助が手がける最後にして、最難関の事件としても知られています。
長編小説として、1957年「宝石」7月号に序章が発表されたものの、横溝正史自身が病気になってしまい、しばらく執筆ができなくなりました。3部構成となっており、最初に事件の発端となった首縊りの家での事件が執筆され、しばらく時間が経って体を直したあと、2部3部と手がけて行きます。最初の事件が迷宮入りとなり、それから20年後の今回の事件が発端となり、その迷宮入り事件の謎にたどり着くというストーリーで、金田一耕助を持ってしても解決までに20年年かかったというフレーズが生まれたのでした。(実写版の映画はストーリーを変えて、過去の迷宮入り事件とせずにテンポよく仕上がっています。)
出典:Blog
時は終戦まもない昭和二十六年、金田一耕助(石坂浩二)は、昔からの知り合いである推理作家(横溝正史)を訪ねていました。渡米するにあたり、あいさつに来たのです。するとその老推理作家は、パスポート写真撮影のための写真家を紹介してくれました。早速訪れた写真店が本條写真店でした。
そこで主人の徳兵衛に「最近誰かに自分は狙われているから、調べて欲しい」と調査依頼を受けるのです。
その日の夕方、一人の少女に結婚写真撮影の依頼を受けたため、徳兵衛の息子は、指定された撮影場所に赴くと、そこは「首縊りの家」と呼ばれる少し前まで栄えた法眼病院跡地でした。終戦の翌年に山内冬子という女性がこの家で、首をくくって亡くなったのが、呼び名の由来です。直吉は恐ろしい家に恐怖を感じながら撮影に臨み、そこで、昼間に依頼に来た少女とそっくりな少女の花嫁姿と、謎の男の写真をとりました。
一人二役の桜田淳子(美しいですね~)
出典:Blog
次の日の夜もまた同じ少女から撮影の依頼がありました。しかも同じ場所で・・・そこで、写真屋のスタッフ一同と金田一が例の家にいくと本来風鈴のある位置に、婿となったはずの男が生首になって吊るされていたのです。現場から逃げ去ろうとした不審な男、吉沢平次を取り押さえました。
「生首風鈴殺人事件」という、なんともデリカシーのない名前の捜査本部が設置されました。そこで等々力警部は、関係者を集めて証言を聞き始めます。そこで、容疑者とされている吉沢が今回の殺人事件の被害者とその花嫁は、町外れのガレージに住む山内敏男、小雪ということ、そして二人の関係は血の繋がりのないことを証言したのです。さらに金田一の調べで、二人は終戦後迷宮入りした例の首縊りの家事件の被害者山内冬子の遺児であることがわかったのです。
捜査本部で捜査会議をしている中、小雪から殺害を自供する手紙が届きました。「兄からの求婚に対し、お互い不幸になると争ううち、兄を刺してしまった、そして薄れゆく意識で兄がいう、自分の首を切って吊ることにより、母を死に追いやった法眼家に復讐するように、という言葉に従った」という内容でした。
捜査本部がこの手紙をもって、事件を解決したとして幕引きをはかろうとするのですが、金田一耕助は微妙な矛盾から犯人が別にいると主張し捜査を続けます。法眼家とその懇意にしていた五十嵐一族の複雑な関係を紐解きながら、長きに渡り解決ができなかった過去の事件の謎までも解きほぐすという、金田一耕助の最後の推理が冴え渡ります。
事件の鍵を握る女性、法眼弥生は佐久間良子です。
出典:ファミリー劇場
金田一耕助の最後の事件ということで、横溝正史もいつもより多く映画にでていて、セリフも多くあったのです。最初の老推理作家そして、最後の解説のシーンいずれも役柄としての出演でした。
また、この作品には、金田一耕助映画の常連であった小林昭二・草笛光子・三木のり平・大滝秀治は、主演の石坂浩二と共に5作連続で出演するという快挙をはたしたのです。多くの困難な場面でもスタッフと俳優陣が協力して最後まで作り上げたきた、いわば戦友のようなものだったのかもしれません。
映画の最後には、老推理作家のリビングのシーンが選ばれました。すなわち金田一耕助シリーズの最後ということになるのですが、そこで出演者一同が揃って歓談するというファンサービスが待っていました。歓談の最後には、横溝正史の奥様も出演し普段の夫婦の会話で物語を終わらせてシリーズの終わりを締めくくりました。
その他の金田一耕助シリーズはこちら