永遠のアイドル南野陽子、ますますかわいく、そして美しく...

目次

伝説のアイドル「南野陽子」について

今回は、いまでもテレビで大活躍、奇跡の50代といわれる南野陽子についてです。スケバ刑事Ⅱに出演している時、とんねるずの石橋貴明が南野陽子とすれ違った時、その美しさに衝撃を受けたといいます。その話を聞いた時、わかる~と心の中で激しく頷いてしまいました。

石橋貴明と中居正広のバラエティにゲスト主演している南野陽子を発見!セーラー服姿が可愛いです。ここから見てください

南野陽子

1967年6月23日生まれ兵庫県出身です。それまでは生粋のお嬢様育ちで、通っていた高校も松蔭高等学校で、兵庫県神戸市灘区にあるキリスト教の中高一貫私立女子校と言う超一流のお嬢様高校です。高校2年の夏に上京し堀越高等学校に3学期から編入しました。1984年秋ドラマ『名門私立女子高校』で芸能界デビューします。

その当時はまだ無名の彼女でしたが、多方面にわたり個人的な売り込み活動(いわゆるドブ板営業)を熱心にした結果、『週刊少年マガジン』などのグラビアでは大量ページで取り上げられるまでになりました。またマガジンの姉妹雑誌『DELUXEマガジン』でも、早々に表紙を飾るなど多くの注目を集めるという、その根性が幸運を掴み、またたく間にアイドルの仲間入りとなりました。お嬢様でありながら、まさに叩き上げのアイドルですね!

当時の南野陽子の美貌と明るいキャラクターを知れば、なるべくしてなったのかも知れませんが、その背後には涙くましい努力が有ったと知りました。

1985年代には、アイドル歌手としてデビュー、当時のアイドルはキャッチフレーズとともに歌手デビューするのですが、南野陽子のチャッチフレーズは「純だね、陽子」「可憐だね、陽子」だったそうです。もっとなんかあるだろう。。って思ってしまいましたww

同年8月には、フジテレビのドラマ『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』で2代目麻宮サキを演じて一気にトップアイドルの仲間入りをしました。

デビュー当時からニッポン放送でラジオのパーソナリティーを努めていました。そしてあの人気番組が1986年10月2日から『南野陽子 ナンノこれしきっ!』が開始されました。

Youtubeより

はいからさんが通るや、アリエスの乙女たちの映画出演、その間には連続ドラマ主演、そして歌番組と休む暇なく働く彼女でしたが、過労で入院してしまいます。それでも病室から、歌番組に主演すると言う生活を送っていたと言う、ど根性の持ち主、、

あとで述べる事務所移転騒動でも、マスコミのバッシングにあい、アイドル生命を脅かされるようなところまで叩き落とされた経験があると言う南野陽子、、

今でこそ、穏やかで優しい表情を見せてくれていますが、当時は地獄の苦しみだったのでしょう。

忘れられない_南野陽子の作品

アイドル時代に主演した映画の時代、実力派女優として多くの主演映画やドラマをこなす時代を経て、今や奇跡の50代☆多くのドラマやバラエティに出演して多くのファンに変わらない笑顔をと届けてくれます。

南野陽子出演作をピックアップ

過去の映画やドラマで忘れられない作品をピックアップしました。

1.ドラマ「スケバン刑事Ⅱ鉄仮面伝説」(1987年)

2.映画「ハイカラさんが通る」(1987年)

3.映画「アリエスの乙女たち」(1987年)

4.ドラマ「熱っぽいの」(1988年)

5.ドラマあいつがトラブル(1988年)

6.映画「白い手」(1990年)

7.映画「寒椿」(1992年)

8.映画「私を抱いてそしてキスして

南野陽子オリコン1位のヒット曲

歌手としての南野陽子もすごい活躍です。楽園のDoorから8曲連続してオリコン1位を獲得するという偉業を達成するのです。その時は何気なく見ていましたが、きっと毎週のように歌番組に出演していたのでしょう。

 

No. タイトル 発売日 オリコン順位 備 考
楽園のDoor 1987年1月10日 1位 スケバン刑事主題歌
2 話しかけたかった 1987年4月1日 1位 ザベストテンで初めて1位を獲得
3 パンドラの恋人 1987年7月1日 1位
4 秋のIndication 1987年9月23日 1位 江崎グリコ「セシルチョコレート」のコマーシャルソングに起用さ
はいからさんが通る 1987年12月2日 1位 映画「はいからさんが通る」の主題歌
6 吐息でネット 1988年2月26日 1位 1988年の化粧品CM「カネボウ春のイメージソング」に起用された1988年の化粧品CM「カネボウ春のイメージソング」に起用された
7 あなたを愛したい 1988年6月18日 1位 自身主演の東映映画『菩提樹 リンデンバウム』主題歌。また、同時期にオンエアされ、南野自身も出演していたJR西日本「WENS」のCMソングでもあった。
8 秋からも、そばにいて

 

1988年10月8日 1位 江崎グリコのコマーシャルソングに起用され、南野本人も出演した

グッとくるエピソード

 

1986年4月5日友達であり自らの目標であった岡田有希子さんが、飛び降り自殺をしてしまいます。

2005年11月6日 大親友で堀越学園の同級生だった本田美奈子さんが、急性骨髄性白血病のため亡くなってしまうと訃報を聞いたのは、舞台本番の合間のことだったが、余りのショックにそのまま泣き崩れてしまったといいます。

辛い別れを経験しながらも、さらにベストテンの時衣装を気にするあまり歌詞忘れてしまい、歌手人生が終わったと思ったエピソードや、あまりの劣悪な就業条件の中、事事務所移籍騒動の最中、事務所が作った南野陽子名義の多額な借金を移籍後も人知れず返し続けて行ったなどの波乱万丈のタレント人生が、多くのファンに知らされることになりました。

どん底に落ちても這い上がってくるその姿にアイドルと言う前に一人の人間としての生き様を知らされた感じがして、ますます魅力を感じてしまうのは、私だけでしょうか。これからも応援していきたいです!

デビュー30周年イヤー最終月となる2016年6月に舞浜アンフィシアターで行ったコンサート<NANNO 31 st ANNIVERSARY~シンデレラ城への長い道のり~>が、2017年2月22日に映像化商品となったときの写真です。年齢を重ねるごとに美しさをましていきますね。

引用はこちら

 

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kenzhouse

中年サラリーマンです。若い時は海外で4年間ほど働いた経験があります。帰国してしばらく派遣社員やアルバイトの掛け持ちをして自分のやりたい仕事を見つけ正社員になりました。 職場が自然と同年代の人が集まり、プチ高齢化社会の縮図を感じています。自ら考え、自立できる自分になりたいと仕事の合間に努力しています。