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赤穂城断絶 は、1978年に公開された映画です。柳生一族の陰謀に続き、時代劇の復活を願った東映が満を持して制作した第2作目の作品となります。監督 深作欣二、主役萬屋錦之介は柳生一族の陰謀と同様となります。
その他のキャストは 東映オールスターキャストと言われ、東映では常連の俳優陣が総出で作品を盛り上げているのも、柳生一族の陰謀の時と同様です。
ちなみに日本人の心に深く染み込んでいる忠臣蔵ですが、この作品で25回目の映画化でということだそうです。深作欣二ならではの様式にとらわれないドキュメンタリータッチの作風が特徴的でした。
受賞内容については、小林平八郎を演じた渡瀬恒彦がブルーリボン賞、キネマ旬報賞、報知映画賞、市川雷蔵賞などを受賞しました。
元禄14年3月14日 (旧暦) (1701年4月21日)、浅野内匠頭長矩が、江戸城松之大廊下で、吉良上野介義央に斬りかかった事に端を発した事件が、俗に言う赤穂事件と言われるものです。
この事件をきっかけとして、内匠頭は切腹を命じられるのです。吉良が斬りつけられた時、同じように刀を抜いていたならば、喧嘩両成敗となっていたのです。しかし吉良は刀を抜きませんでした。そのため、一方的な殺傷事件として扱われました。
出典:Blog
事件当時、江戸城では、幕府として、朝廷の使者を接待していたため、刃傷に及んだ浅野を許すことができず、時の将軍徳川綱吉が激怒したこともあり、幕府は浅野内匠頭に即日切腹を言いつけ、浅野が藩主を務める播州赤穂浅野家は改易、赤穂城も幕府に明け渡すよう命じられたのでした。それに対し吉良には咎めはなかったのです。
斬りかかった理由の詳細は不明ですが、通説では誹謗中傷を内匠頭に繰り返して行ってきた吉良上野に対し、許すことのできない域にまで達してしまったことといわれています。松の間の廊下で許し難い罵詈雑言を浴びせられ、武士としての誇りを傷つけられての傷害事件ということです。
この事態に残された浅野家の家臣達は反発します。そんな中、筆頭家老大石内蔵助を中心に藩内の意見をまとめあげ、素直に赤穂城を明け渡し、お家再興を図る道をとると宣言するのです。
主君の法要を済ませる中、大石は仇討ちの計画を着々と実行しながら、身辺の整理もしていくのです。愛する家族と言われぬ別れをし、同士には血判状によって忠誠を誓いあって47人が集いました。ここにおいて元赤穂浪四十七士が誕生したのです。そしてついに元禄15年12月14日 (旧暦) (1703年)1月30日、吉良邸に侵入し、吉良上野介を討ち取ったのです。(吉良邸討ち入り)。
出典:東映チャンネル
この映画では、大石蔵之介を中心としたこの四十七士の活躍にクローズアップしています。特に討ち入り時の不破数右衛門(千葉真一)と小林平八郎(渡瀬恒彦)の一騎討ちが圧巻です。この戦いが映画を盛り上げています、討ち入りから脱落してゆく浪士や死にゆく者など、全編をドキュメンタリータッチに演出して、他の忠臣蔵の映画とは一線を画しています。そんなところも見所です。
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