西遊記第七話「日照り妖怪の子守唄」のあらすじ・ネタバレ感想

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第七回「日照り妖怪の子守歌」のあらすじ、ねたばれ

「日照り妖怪の子守歌」のあらすじ

行手を阻むは、果てしなく続く砂漠で0日以上も水や食料にありつけず、三蔵法師一行は、みんなイライラ。とうとう沙悟浄が倒れ込んでしまい、つられて八戒も座り込んでもう歩けないと不満を吹き出してしまうのです。

悟空はそんな二人に罵倒を飛ばし暴行して歩け、歩けと厳しく当たり、ついに大喧嘩になってしまうのです。仲裁に入った三蔵法師は、八戒の申し出を受けて、八戒を三人のリーダーとします。

沙悟浄をおぶった悟空と、八戒、三蔵法師を載せた馬が、寂れた村に到着しました。廃墟のような村で人影が見られない中、突然現れた男達に三蔵法師が拐われそうになります。既(すんで)のところで悟空に助けられた三蔵法師は指示を出した村の庄屋様に村が抱えている哀しい理由を知らされました。

ある時から村から少し離れたところの沼に棲みついた、「日照り妖怪」が男の子の生贄を捧げることを要求しているのでした。そうしないと雨は降らさないというのです。村人は男の子を捧げ続けて、なんとか雨を降らせてもらいってましたが、男の子がいなくなり、ずっと雨が降らず作物が取れないとのこと。

猪八戒も悟空も雨乞いの妖術を使いましたが、いずれも失敗します。

そんな時庄屋様の家にも赤紙が貼られました。それは、この家にいる男の子を差し出しなさいという日照り妖怪の合図でした。村の人も庄屋様に詰め寄り、子供を差し出せと迫ります。庄屋様は子供を差し出す事を決意し、子供も覚悟を決めました。

庄屋様は三蔵法師に生贄に差し出すに当たり、お経をあげてほしいとお願いしますが、三蔵法師は生贄に反対して自分が行きますと言い出しました。悟空が八戒に小声で「お前が身代わりになってうまく行ったら、ずっと兄貴として従う」と言って身代わりになるようにけしかけます。単純な八戒は、自ら身代わりになると言って、妖術を使って、庄屋様の息子に化けて生贄のその場に向かいました。

期待して待っている村人の思いとは裏腹にいつまでたっても、雨は降りません。嫌な予感がする悟空は単身沼に向かいます。日照り妖怪を見つけ出した悟空は、水の中の格闘から地上での戦いに持ち込み、なんとか抑え込むことができました。

縛り付けて子供を生贄にする理由を聞いてみると、そこにも悲しい事情がありました。500年前にまだ自分も人間だったころ、同じ人間に息子を奪われ、行方がわからなくなった、悲しみにくれている内に妖怪になっていまい、その恨みで人間の男の子を奪って仕返ししたというのです。悟空は、日照り妖怪の風態や子供の特徴から、あることを思いつきます。

村に帰って、庄屋様と三蔵法師に事情を話します。そして村人達に赤札を持ってくるように言いつけて、それを持って沙悟浄と共に妖怪のもとに戻ります。

そして、悟空は、沙悟浄に驚くべき事実を告げます。この二人が親子であったと言うことを。最初は信じられなかった沙悟浄ですが、様々なことで息子であると言うことが実感でき、親子として抱きしめ会えたのでした。そして赤札を日照り妖怪が準備した壺の中に入れると、子供達が元気に飛び出してきて親元に帰ることができたのです。

感想

今回は親子の情をテーマにした物語でした。子供を奪われた親の不憫な思いを痛いほどわかっている三蔵法師は、庄屋様のお話を聞いて涙、そして、村人の思いに答えて自分の命を捧げようと決意する男の子の言葉を聞いてまた涙します。三蔵法師は赤ちゃんの時に、父を殺され母はその妖怪もさらわれてしまうという不幸な生い立ちでした。そんな自分の半生が蘇り涙したのでしょう。美しい泣き顔でした。

そんな三蔵法師見ながらも俺は、親はもともといない身の上だから、全く理解できないというのです。しかし悟空の活躍により、実の父親を出会えることができた沙悟浄は、人間の心を取り戻し、子供に戻って父親として話すことができたのです。前回は、恋に目覚め、今回は親子の情が芽生え、沙悟浄が少しづつ人間の心を取り戻してきたようで、クールなイメージが一変しているところがとても興味深いです。

 

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kenzhouse

中年サラリーマンです。若い時は海外で4年間ほど働いた経験があります。帰国してしばらく派遣社員やアルバイトの掛け持ちをして自分のやりたい仕事を見つけ正社員になりました。 職場が自然と同年代の人が集まり、プチ高齢化社会の縮図を感じています。自ら考え、自立できる自分になりたいと仕事の合間に努力しています。