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2020年はコロナウイルスの不安で幕が開けた年でもあります。今回記載する記事はエイズに感染した女性の苦しみ悲しみ、偏見や誹謗中傷を描く映画です。この時代、あらためてウイルス感染について正面から見つめ直したこの作品の意味が見直されるかもしれません。
この「私を抱いてそしてキスして」は、1992年に放映された南野陽子主演のヒューマン映画です。日本映画で初めてエイズ問題を正面から描いた作品であることで知られていて、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した家田荘子の同名ノンフィクションを原作としています。
さらにトップアイドルが体当たりの演技で、深刻になっている感染者の差別や葛藤など描いたこの作品は当時衝撃をもって受け止められました。
家田荘子は代表作が極道の妻(おんな)たちで知られています。それ以外にも歌舞伎町の人々や本作に見られるようなエイズ患者、代議士の妻たちなど、一般社会では知ることのない女性たちを、入念な取材を通して赤裸々に表現して脚光をあびていくのです。
この映画は、前述のようにノンフィクションです。エイズという当時マスコミ等でも大きく騒がれ様々に偏見が駆け巡り、エイズに感染した人は言われのない中傷や迫害を受け苦しんでいることも話題となっていました。そんな時代に真正面にこの問題に取り組んだこの映画は、日本映画ではじめての厚生省(当時)の推薦を受けたという、初めて尽くしの映画でした。
そしてもう一つ、この映画の主演を務めた南野陽子の存在です。彼女は、家田荘子の小説「私を抱いてそしてキスして」を読んで感動を覚え、東映に企画を持ち込んだのが、映画製作のきっかけとなったのです。
旅行代理店に勤める合田圭子(南野陽子)は、別れた恋人から信じがたい知らせが伝えられます。それは、輸血によってエイズに感染していたというのです。それは、圭子と付き合う前のこと、その後の恋人となって肉体関係があった後、別れてから知らされたことでした。大きな不安を抱えて検査をうけた圭子ですが、すでに自分にも感染していることを知り、計り知れない大きなショックをうけるのです。
そんな時に出会った高野晶(赤井英和)という男性。自分がエイズであるということを知らせることができずに付き合いはじめ、肉体関係を結んでしまうのです。のちに圭子が感染者であることを知らされた晶は彼女のもとを去ってしまいます。
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圭子のエイズ感染を知って取材にきたのが、ジャーナリストの津島美幸(南果歩)です。彼女は、エイズに対する偏見や差別の問題を調べて世に訴えることに情熱を持っていました。感染者にとっては非常に迷惑な存在だったので圭子は当初美幸を拒絶します。しかし諦めない美幸は足繁く圭子を訪ねてきて、話を聞かせてほしいと懇願するのです。その熱意に少しづつ心を開くようになった圭子でした。
しかしそんな圭子にさらに追い打ちをかけるような出来事が起こります。それは、妊娠です。自分が妊娠していることに気が付き、子供もまた妊娠しているのではないかという恐怖と不安に苛まれていく毎日でした。後悔と悲しみの日々の中一筋の光が圭子を照らすのです。
不安に明け暮れる圭子の前に、思い直して変えてきてくれた晶の姿があったのです。二人は「一緒に子供を育てよう。」誓い合うのです。
圭子は「自分がいつまで生きることができるかわからない、だけど、「この子がいうの『私をだいてそしてキスして』って」と涙ながらに晶に訴えるのです。死を覚悟してもなお子供の幸せを願う母の思いがひしひしと伝わる感動的な場面でした。
冒頭でも記載しましたが、南野陽子が持ち込まなければ、この映画の存在はありませんでした。
事務所の独立騒動で、言われのない誹謗中傷を浴びても一心に耐えてきた南野陽子が、主人公「合田圭子」に気持ちの面で重なる思いがあったのかもしれないと想像します。これはあくまでも自分の想像でしかありません。南野陽子は、本当はもっと違う大きなところでこの作品に共感したのかもしれませんが、それだけに彼女の底知れない魅力と人間的な器を感じてしまうのです。
さらには、南野陽子はただ企画を持ち込んだだけではなく、企画の立案者としての責任感をもって、8Kgの減量に成功しました。痩せゆく体というリアリティーを追求して、ベットシーンに臨んだということです。前作の寒椿でも鬼気迫る体当たりの演技を見せた南野陽子でしたが、引き続き本作でもさらに進化した女優魂を見せつけました。そして寒椿とともに第16回日本アカデミー賞優秀主演女優賞受賞したのです。
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このような決意で臨んだエイズへの啓発する映画でありました。当時は私自身もエイズといったら同性愛者がかかる病気、不特定多数の性交によってかかってしまうという誤った認識があったと思います。
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トップアイドルであった南野陽子が、みずから率先してこの企画に取り組むことにより、多くの人々にこの病気に対する警鐘をならし、誤解を少しでも解いていくことに、とても大きな貢献をしたと思います。
実際この映画で、エイズの原因は必ずしも性的が問題だけではないということや、それによって多くの人が言われのない中傷や誤解で苦しんでいることがわかったのでしょう。多くの人に感動を与え、病気に苦しんでいる人には希望を与えたことでしょう。
今の日本にも同様なことが起きています。コロナウイルスに感染した人や、献身的に治療にあたっている人にまで言われなのない差別や中傷で苦しむような場面があると伝えられています。感染症の恐ろしさの新たなる一面です。そんなことで苦しむ人が一人でも減っていけばいいなと思うばかりです。