「ザ・ハングマン」ネタバレあらすじ感想

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「ザ・ハングマン」ネタバレあらすじ感想

ドラマ「ザ・ハングマン」の概要

ハングマンシリーズは、テレビ朝日系列にて1980年から1987年までの7年に渡り放映されたドラマです。シリーズとしても7作作られました。

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ハングマンを直訳すると、絞首刑執行任となります。この番組は、現代版の必殺シリーズに当たる内容で、世の中にはびこる巨悪に対し、その悪事を赤裸々にすることによって公開処刑をすることをコンセプトにしていました。時代劇のように悪人をポンポン殺してしまう訳にもいかず、悪事を世に知らしめて復権できないようにして懲らしめることで、恨みを持つ者の思いを晴らしていき、視聴者の共感を得ていました。

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最初こそは、ハードボイルド的要素が強い雰囲気でしたが、のちに(名高達郎が出演したころから)コメディー要素も多く取り入れたそうです。

自分が見始めたのも、このコメディー要素が強い頃からです。なんか、ちょっとナンセンスなところもあって、変わった番組だなって思ったけど、子供ながら楽しんで見ていました。

 

ストーリー

ゴットと呼ばれる司令官のもと、コードネームを持った闇の処刑人が、法の目をかいくぐってのさばる巨悪を追い詰めて公開処刑していきます。ゴットが目を付けたハングマン候補者を、採用していく過程も見どころです。ハングマンになった人は、一度死亡したということになります。そして戸籍を消され、整形し、指紋さえも変えて全く世の中には存在しないものとして活動するのです。本来冷徹であるべきハングマンも残してきた家族のことが気になり、全く他人として接するという悲しい性を背負っている場面は、さすがに泣けてきます。

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巨悪に対しては容赦なく、徹底的に調べ上げ、追い詰めて逃れようのない証拠を突き詰めながら、悪の限りを自白させたところで、それを大衆の面前に晒すということが最終的な処刑です。少し前まで、偉そうに踏ん反り返っていた悪人が、処刑を受けて恐怖と絶望の淵に追いやられる姿に、水戸黄門にも通じる勧善懲悪を愛する人間の本性に訴えかける番組でした。

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ゴット/山村聡, 天地茂フランキー堺

リーダー /ブラック(林隆三)→マイト(黒澤年男)

ハングマン/パン(植木等)、バイク(加瀬真一)、デジコン(名高達郎)他

女ハングマン ベニー(あべ静江)→タミー(夏樹陽子)

ハングマンは、誰しもが成れる物でもなくゴットが決めた人物に、先輩ハングマンがスカウトしていました。多くのハングマンには、それぞれの悲しい事情を抱えていてその過去が痛々しいです。その悲しみや不条理な思いが原動力となり、悪に向かっていくのです。
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この人をピックアップ

ハングマンからは、あべ静江をピックアップします。

コードネーム「ベニー 」浅見 令子
警視庁に勤務していた彼女は、銀行員の婚約者が巨額横領事件に巻き込まれて、自殺してしまいます。後追い自殺をしようとしたところ、ゴットに説得されハングマン4号となりました。
ゴットの秘書や連絡役をしていたのですが、華道の師匠の命を助けるため、壮絶な最期を遂げるのです。

演じていた女優はあべ静江でした。

あべ静江といえば、私の子供の頃初めてテレビでみたアイドル的な存在だったと思います。その時代はアイドルという言葉すらなかったのですが、テレビではその美しい姿を見せてくれました。当時の印象は、お嬢様タイプだったので、このようなハードボイルドで危険なドラマに出ていることすら気付きませんでした。

そして、私は小学校の時に大流行した「がきデカ」という漫画で主人公「こまわり君」の通っていた小学校の女教師のモデルとなったことでも、子どもたちに人気を博していたのだと思います。

最初はDJから出発して、その美貌や美声で歌手としてデビューします。デビュー曲は「コーヒーショップで」。自分がはじめて聞いた曲は「水色の手紙」でした。

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イントロのときに「お元気ですか?そして今でも愛しているといってくださいますか?」という言葉から始まる切ない曲でかなり印象的でした。きっとっ大ヒットしていたんでしょうけど、子供だからまったくわからず只々きれいなお姉さんが素敵な歌を歌っているな、と思っていたものです。

その後の歌手以外にもドラマ・CMに大活躍されています。子供のころの淡い想い出が蘇ってきます。

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kenzhouse

中年サラリーマンです。若い時は海外で4年間ほど働いた経験があります。帰国してしばらく派遣社員やアルバイトの掛け持ちをして自分のやりたい仕事を見つけ正社員になりました。 職場が自然と同年代の人が集まり、プチ高齢化社会の縮図を感じています。自ら考え、自立できる自分になりたいと仕事の合間に努力しています。