ドラマ_「三毛猫ホームズの駆落ち」ネタバレあらすじ感想

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ドラマ_「三毛猫ホームズの駆落ち」ネタバレあらすじ感想

土曜ワイド劇場の三毛猫ホームズは、石立鉄男と坂口良子のダブル主演でした。1979年から1984年で放映された人気のドラマでした。

第1作「三毛猫ホームズの推理 女子大密室殺人」(1979年)

ゲスト 結城しのぶ, 穂積隆信

第2作「三毛猫ホームズの追跡 女性専科連続殺人の謎」(1980年)

ゲスト;市毛良枝,奈美悦子

第3作「三毛猫ホームズの怪談 赤猫は死を招く」(1981年)

ゲスト:丘みつ子,岡田奈々

第4作「三毛猫ホームズの狂死曲 バイオリン連続殺人」(1982年)

ゲスト:松原千明,久保菜穂子,江木俊夫

第5作「三毛猫ホームズの運動会 だるま競争殺人事件 さらば愛する妻よ」(1983年)

ゲスト:近藤洋介,結城しのぶ,西岡徳馬

第6作「三毛猫ホームズの駆落ち 相続人殺し 父危篤・至急連絡乞う」(1984年)

ゲスト:山本紀彦,あべ静江,鈴木瑞穂

三毛猫ホームズの駆落ち 概要

土曜ワイド劇場での石立鉄男の三毛猫ホームズシリーズはこの「三毛猫ホームズの駈落ち」で最後になりました。このドラマと原作がちがうのは、義太郎に許嫁がいて、事件解決でバディーとなるのが、妹の晴美ではなく、この許嫁の吉塚雪子であるということです。そのため、今回のドラマでも、駈落ちした二人の名前も、義太郎と雪子です。
このドラマを最後に、石立鉄男の三毛猫ホームズは終わりましたが、土曜ワイド劇場では、三浦洋一版、陣内智則版が放送されました。

さらに、1998年2月には、「三毛猫ホームズの推理」ディレクターズカット版が映画化されました。大林宣彦監督による映画化は、赤川次郎作品では『ふたり』、『あした』に続くものでした。

ストーリー

警視庁捜査一課の片山義太郎(石立鉄男)は、新聞の広告欄に「義太郎、雪子へ父危篤、至急連絡せよ」という内容を掲載されるのを見ました。義太郎の両親はすでに他界しているので、偶然かもしれないと思っていたですが、出勤途中車にはねられそうになったり、先日のデートの途中で不審な男につけられていることなどから、危険な状況が迫っていることを直感し、雪子が危ないと思うようになりました。それで、雪子の部屋に様子を見に行くことにしたのです。

雪子の部屋にいくと秀二郎(堀内正美)と名乗る男が部屋に上がりこんできて雪子のことをお姉さんと呼んで抱きついてきたのです。さらには、やってきた義太郎のこともお兄さんと呼ぶのです。
秀ニ郎は元警察官で私立探偵の杉田(梅津栄)から亡くなったと思った義太郎と雪子を見つけたと聞き、住所を聞いてやってきたと言います。
その時、元々心臓の悪かった秀二郎は発作を起こしてしまい倒れてしまいます。遅れて雪子の部屋やってきた医者の倉持(鈴木瑞穂)が来て、応急処置をしながら、
秀二郎に探していた義太郎と雪子に間違いないと秀二郎に言い聞かせるのでした。倉持は、新潟から義太郎と雪子を探すために上京し先に来ていた秀二郎と合流していたのでした。

秀二郎が帰ると、倉持は片山と雪子に、探している方の義太郎と雪子について説明をしてくれた上で、先程秀二郎にお話したのは、全くの出まかせであると告白したのです。

片岡義太郎(山本紀彦)と山波雪子(あべ静江)は12年前許されざる恋に落ち、駆け落ちをして崖から海に飛び込んだというのです。その後、生死が分からず時は過ぎたということ。
元々、片岡家と山波家は新潟の資産家でしたが、犬猿の仲でふたりの交際は大反対でした。
今回上京してきた、倉持は両家の主治医であり、両方の当主がそろって癌で余命3ヶ月ほどとなってしまったため、相続の問題もあることから、当主から捜索のお願いをされたと言います。さらに倉持はふたりの居所を知っているのだというので片山たちもあわせてもらうことにしました。

雪子の方は2年前に三浦と言う男と結婚して、「青空」という喫茶店を営んでいました。義太郎は3年前に令子(浅野真弓)と結婚していた。義太郎も雪子も家を出た人間なので、遺産を受け取るつもりはないといいます。

相続絡みとなると、前回の轢き逃げみ事件は秀二郎の仕業かと思い問いただすために、秀二郎の自宅を訪ねます。しかしそこにはベットの上で仰向けで無くなっている秀二郎の姿があったのでした。

片山の訪問から少しして医師の倉持と秀二郎の婚約者もやってきました。彼らは片山が犯人と勘違いしてしまいます。程なく、片山の上司と同僚が通報を受けやってきて誤解が解けたのです。

この事件を契機に片岡義太郎と山波雪子の周りに不審な事件が連発します。

義太郎と雪子ホームズは、協力してこの事件の謎に迫ります。

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kenzhouse

中年サラリーマンです。若い時は海外で4年間ほど働いた経験があります。帰国してしばらく派遣社員やアルバイトの掛け持ちをして自分のやりたい仕事を見つけ正社員になりました。 職場が自然と同年代の人が集まり、プチ高齢化社会の縮図を感じています。自ら考え、自立できる自分になりたいと仕事の合間に努力しています。